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それは近くて眩しくて、そして遠い。

初めて遺書を書いたのは、いつだっただろう?
まだ小学生だったことだけは覚えている。
大人の使う無地の便箋を買って
子どもの私は一生懸命遺書を書いた。

泣きながら遺書を書き、
いつ死のう。
さぁ死のう。
そう思いながら中学生になり、
中学生になると一週間に一回は遺書を書いた。

更新されていく遺書は
馬鹿馬鹿しいもので
実行されない死は
遠くて眩しかった。

中学三年の冬に父親が事故で死んだとき
私は泣いて、泣いて、泣いて、
そのまま死ねたらいいのにと思ったけれど
それ以来遺書の更新をやめた。

その代わり私は
遠くて眩しかった死に
いよいよ手を伸ばすことを覚えた。

高い所に登ればそこから飛び降りることを
鋭利な物を見ればそれで自分の胸を突き刺すことを
そんなことばかり考えながら、私は過ごした。
死はいつでもそこにあった。
近くて、けれど相変わらず眩しかった。

死は選ばれた人間にのみ訪れる。
どんなに焦がれても、
生きているのだから私は選ばれなかったということなのだ。
校舎から飛び降りようとしたあの時も、
誰もいない台所で包丁を握りしめたあの時も、
そして大量の薬を飲んで病院に運び込まれたあの時も。
私は選ばれなかった。

死は眩しい。
ダイヤモンドのようにキラキラ輝いて
いつでも私を誘惑する。
だけれど私がそうまで死に焦がれる理由は
それが美しいからじゃない。
それはちっとも美しくなんかない。
死は醜くて身勝手で恐ろしくて、とても汚らしい。

しかし生きることは苦行だ。
その苦行に耐え抜くだけの尊さが私の命にはない。
重さのない軽い軽い羽のような命だと私の中で誰かが笑う。
そんなものの為に苦しむことに、どうして耐えられるだろうか?

そうして膝を抱えて、
苦しい苦しいと言って泣く私の前にはいつも母親がいる。
母は優しく微笑んで、「耐えろ」と言い続ける。
「耐えろ」「耐えろ」と言い含められて、
私はようやく耐えている。

「おかあさん。
 私はこんなにも苦しんでいるのに
 あなたはそれを喜ぶのですか?」
問えば母は頷く。
それが愛情というものなのだ、と優しく微笑む。
母が私と同じように死を望んだならば、
私も同じく「耐えろ」というのだろうから
愛とはひどく残酷なものなのだ。

死は近くて眩しくて、そして遠い。
そして死の前にはいつでも愛が横たわり、
死へと続く道を阻むのだ。
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